先週の木曜日に仮免許の試験を受けた。技能試験はともかく学科試験は「まぁそんな難しくないでしょう」と直前まで高を括ってたのだが、いざ問題を解いてみると結構難しくて焦った。過去問を解けるMUSASHIというアプリがあり、4時間くらいそれをやってから試験に臨んだ。(ちなみに私はこういう試験対策のための勉強アプリが好きで、基本情報試験のための過去問道場とか結構やりこんだ記憶がある)
結果として学科試験も技能試験もなんとか受かったんだが、技能試験中に、右折のウインカー出し忘れたり、直線で30km出さなきゃ!とギアチェンジを焦って1→3に変えて車がガタガタ揺れたりとそこそこミスをした。
んで最後に講評を頂いた一言が以下。
仮免検定終了後教官講評「君は一つのことに集中すると他のことが飛んじゃうタイプだね。」
— Gakuto Sasabe (@gakuto66) June 20, 2024
ワイ「はい。」
初見でよく見てるなぁ教官ってすごいなぁと感心した。元々ひとつのことに集中すると他の事が見えなくなるタイプである自覚はあったのだが、慣れない車の運転をしている姿を他人に見られてそう思われるなら本当にそうなんだろうなと思う。
まぁ運転免許を取るなんて誰でもやっていることだが、何か新しい挑戦を繰り返して、そのたびに外部からフィードバックをもらうことで、徐々に自分のかたち(得意なことや不得意なこと、他の人と同じところ・違うところ)が見えてくるんだろうなぁと最近思うようになった。これは彫刻にも例えられるかもしれない。切り出した丸太に彫刻刀をあてて彫り出していくことで徐々に形が明らかになっていくみたいな。
もし新しい挑戦をして失敗した場合にも、失敗した理由は明らかになるだろうし、うまくいったらその目指していたところに対しては能力的に問題はないと見なされるということである。どちらにせよ挑戦すれば情報は得られる。全く挑戦しなければ無敵だが、これは非常に脆い状態である。
むしろ失敗したほうが、自分に何が足りないかわかる分、得られる情報量としては成功したときよりも多いかもしれない。いつもうまくいってしまったら、自分の限界がいつまでも見えず、過剰な自信で目標設定をしそこなって、自分の能力に対してかけ離れた目標を掲げてしまうかもしれない。その結果、闇雲に突っ込み、自爆する可能性があるからだ。(それでも前述したように当たり前にできることに挑戦したり、挑戦しないよりかは自分への知見が溜まると思う)
自分ができるか?できないか?怪しいくらいの少し高い目標をいつも立てられるのが良いんだろうな。(そもそも”少し高い目標”を定めるためにもどこかで失敗しておく必要があると思うが)
この挑戦によって、自分を知っていくというのは、最近流行りの自己診断によるMBTI診断なんかよりよっぽど当てになるものだと思う。(個人的に15分のアンケートで自分の可能性を見定めようなんてそんな都合の良いことはない気がする。逆に自分の可能性はこれだと思い込んでしまい自ら可能性を狭めることにも繋がると思う。私は同じ理由で遺伝子検査もしてない。)
自分の限界や不得意が見えてくると、自分が目指すところへの戦略が変わってくる。よく、子供の頃は本気でスポーツ選手になろうと努力していたが、途中でキャリアをチェンジして、全く関係ない他分野でも成功している、みたいな人を見るが、彼らはスポーツ選手になろうと必死で努力する過程で自分のカタチを知ることができたため、違う分野に行っても活躍できたのではないだろうか。
自分もなるべくトライアンドエラーを繰り返して、もっと自分の得意不得意を明らかにしていきたいと思う、といいつつ、最近は色々とうまくいかず、果たして何だったら自分はできるのだろうかと悩んでいる・・・。