善悪の彼岸

ノリと勢いでフランスに来たエンジニアが個人開発や好きな哲学、フランス生活について書くブログ。週2更新。

なぜこの21世紀にトランプやプーチンが選ばれるのか【ドラッカーの「経済人の終わり」を読んだ】

アメリカが大変なことになっている。トランプは、議事堂襲撃事件の訴訟に関わった司法省の職員をクビにしたし、メキシコ湾をアメリカ湾と呼び始めた。イーロンマスクはUSAIDにベッドと部下を持ち込んで乗り込み、 勝手に国家の機密情報にアクセスし、USAIDは即刻解散となった。やりたい放題である。私は別にトランプが嫌いとかではない。 実行力もあるし、ガンガン大統領令を出して政策を実行していくのは痛快だし、傍目から見てる分には面白い。

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その一方でトランプがおよそ民主主義とは思えない方法で改革を進めているのは確かだとは思う。現行の法の枠を飛び出して、独裁的に改革を進めていくのはほとんどファシズム全体主義)である。1945年代にナチス政権が終わって100年弱、 我々はナチスのようなファシズムがもう一度台頭しないように、 民主主義に改良を重ねてきたのではないだろうか。その結果がトランプでありプーチンなのであろうか。  なぜコンピューターも民主主義も進化したであろうこの21世紀に、独裁的なリーダーが誕生してしまうのか?ということについて知ってみたく、本を探していたところ、ピーター・ドラッガーが書いた「経済人の終わり」という本を見つけた。

 

 

この本を読んでみた所、なぜ彼らが人民に支持され、選挙に勝てるのか少しわかったので、 今日はそれを共有したいと思う。

 

「経済人」の終わり

ピータードラッカーは「マネジメント」の方が有名だと思うが(そっちは読んだことない)、この本は、ピータードラッカーが経営の本で有名になる前、20代の時にナチスの台頭を目の当たりにし、ファシズムについて書いた本らしい。しかも、ドラッカーが本書を書いたときは、まだナチス政権が誕生する前であったにもかかわらず、その後のナチス政権の動きをかなりの精度で予測できていたため大きな話題になったそうだ。

 

したがって、本書の分析は、ドイツにおいてナチスが政権を奪取したときには、事実上完了していたといってよい。事実、その後数年間の現実の動きは、私の分析の正しさを証明していた。しかも私はかなり正確に予測していた。こうして私の分析が単なる仮説以上のものであることが明らかになったとき、私は本書の刊行に踏み切った。

P F ドラッカー. ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり (p.7). ダイヤモンド社. Kindle 版. 

 

ドラッカーが指摘するファシズムの3つの症状

「経済人の終わり」の中でドラッカーが指摘しているファシズム的な症状は以下の3つである。

ファシズム全体主義に特有の新しい症状は次の三つである。 (1)ファシズム全体主義は、積極的な信条をもたず、もっぱら他の信条を攻撃し、排斥し、否定する。 (2)ファシズム全体主義は、ヨーロッパ史上初めて、すべての古い考え方を攻撃するだけでなく、政治と社会の基盤としての権力を否定する。すなわち、その支配下にある個人の福祉の向上のための手段として政治権力や社会権力を正当化する必要を認めない。 (3)ファシズム全体主義への参加は、積極的な信条に代わるものとしてファシズムの約束を信じるためではなく、まさにそれを信じないがゆえに行われる。

P F ドラッカー. ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり (pp.23-24). ダイヤモンド社. Kindle 版. 

 

 

(1)のファシズムそれ自体は信念を持たず、以前の失敗した考えを否定すること自体を心情としているというのが面白い。

 

しかしファシズム全体主義においては、歴史上のいかなる政治運動と比べても、過去の否定がはるかに徹底している。なぜならば、否定がその綱領だからである。しかも、さらに重要なこととして、ファシズム全体主義は対立する理念があればそれらの双方を同時に否定する。

P F ドラッカー. ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり (p.25). ダイヤモンド社. Kindle 版. 

 

これはトランプ政権にも見られることだと思う。アメリカの国民は前政権のあまりにもマイノリティ重視で国民を顧みないやりかたに失望して、その真逆の考えをしているトランプを選んだ。 しかしそのトランプ自身の考えを見ていると、Make America Great Againというのはわかりやすが、特に何かを言い得たものではない感じがある。 アメリカを再びすごくする、国を強くさせると考えるのはどんな政治家も考えそうだし、何かを言っているのだろうかという違和感がある。この本によればファシズムにおいては、否定こそが信条なのである。

 

また、(3)の「ファシズム全体主義への参加は、積極的な信条に代わるものとしてファシズムの約束を信じるためではなく、まさにそれを信じないがゆえに行われる」というのもとても面白い。ドラッカーによれば、ファシズム的な考えに賛同する人も、彼らが言う政策を進めていけば自分たちの生活が良くなる!と信じているわけではないらしい。正直そんなにうまくいくと思ってないけどワンチャンにかけているのである。

 

旧秩序は崩壊したが新秩序は生まれていない。その結果は混沌である。絶望した大衆は不可能を可能とする魔術師にすがる。労働者に自由を与えつつ、産業家に工場の主導権を回復させ、小麦の価格を上げつつパンの価格を下げ、平和をもたらしつつ戦争に勝利し、一人ひとりの人間にとってすべてとなり、あらゆる人間にとってあらゆるものとなることを約束する魔法使いにすがる。 したがって、大衆がファシズム全体主義に傾倒するのは、その矛盾と不可能にもかかわらずではない。まさにその矛盾と不可能のゆえである。なぜならば、戻るべき過去への道は洪水で閉ざされ、前方には越えるすべのない絶望の壁が立ち塞がっているとき、そこから脱しうる方法は魔術と奇跡だけだからである。

P F ドラッカー. ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり (p.35). ダイヤモンド社. Kindle 版. 

 

確かにトランプには「ぶっちゃけ言ってること過激すぎだし、そんな単純にうまくいくような気もしないけどこの人ならワンチャンどうにかしてくれそう」という期待を抱かせるカリスマ性がある。世界が今後どうなるのか見通しが付きづらく、閉塞的な時はトランプのような「ワンチャンどうにかしてくれそう」な魔術師に国民が期待を寄せるということである。まぁその結果うまくいくのかはわからないが・・・。

 

 

感想

いやー本当に面白い本だわ。そして、このファシズムナチス政権が倒れて100年近く経っていても、 結局テクノロジーでどうにかなるものではないということもまた面白いところである。 どんなに情報がインターネットにあふれて、それに誰もがアクセスできるようになったとしても、結局、人は見たいものしか見ないということなんだと思う。 これは、かなりどうにもならないことな気もしている。

しかしその一方で、インターネットとアルゴリズムによるレコメンドが発達し、ある種、各々が信じるものがそれぞれの社会状況や教養に合わせて多様化していることは、ファシズムを防ぐ一つの手段になるかもしれない。 例えば、私も好きなユーチューバーや政治家がいるけれども、「ある一面ではこの人に賛同できるけど、 こういう言動を見ると、この人にはあまり賛同できないな」みたいなことがある。 各々の好みに合わせた偶像が幾千万と用意されすぎたせいで、各々が信じる神も多様化して、 なかなかひとつの考えが過半数を超えるようなことにはならないと言うのが救いだと思う。例えば、この前の日本の衆院選では、立憲民主党、国民民主党自民党で票が割れた。 そういう形で、多くの社会的立場によって押される代弁者が乱立し、一つの代弁者に支持が集中しすぎないというのはファシズムを浸透させる上で壁になるかも知れない。