最近Xで、誰かの発言に対して、「@grok ファクトチェック」というリプライを送るのが流行っている。このリプライを送ると、XのAIであるgrokが発言の真偽について判断してくれるのである。
この風潮に対してかなり反発が上がっている。
最近流行りの「@︎︎grok ファクトチェック」、着実に人類の知能の後退が始まっているのを感じる
— ゆめめ (@Golden_Yumeme) April 2, 2025
Grokに「Grokでファクトチェックするのは信憑性に欠けるからやめなよ…」って諭されてる人間いて爆笑してしまった
— 時代おくレイ ヴン (@zidaiokuraven) April 4, 2025
知性の終焉すぎる
多分言いたいことは、 「AIを使わないと自分の目で事実判定もできないのか」という事だと思う。 正直私も、AIを完全に信頼して自分の目で真実かどうかを判断することまで放棄したら知能は後退していくよなと思う。
しかし別の見方をすれば「普通に(論理的に)考えてこうなるだろう」みたいなことについては、 もはやAIに答えてもらえば誰でも手に入れられる世界になってきているという事でもあると思う。知能の民主化というか「大体論理的に正しいよね」というレベルの考えであれば、 別にAIに外注できちゃうし、そういう意味で全人類の知能レベルが底上げされたと言えばそんな感じもする。
そうなってくると、もはやロジカルシンキングはあまり価値を生み出さなくなって来るんだろうなと思う。例えば、話題のトランプ関税の話をYouTubeで色々調べてみたのだが、専門家の動画であっても素人の動画であってもあんまり言っていることが変わらないというか、「この人だからこそ」みたいな視点があまり見えてこないと感じている。恐らくAIも同じような事を返すだろうなと思うし、沢山の知識があることによって得られる答えみたいなものが、あまり意味を持たなくなって(誰でも手に入れられるようになって)皆が皆同じようなことしか言わなくなっているという感じがある。
こういうロジカルシンキングが民主化された世界において、価値が出てくるのは、「集団の中でものすごくハズレ値の考えを持つ」か、 「行動によって得られた経験や知識」なのではないかと思う。先程のトランプ関税の話で言えば、実際に現在アメリカに住んでいるYoutuberが「周りの隣人がこういう事を言っていた」とか「政府の職員が解雇された影響で行政手続きにかかる時間が通常の数倍になっている」という情報を発信していてとても面白かった。
現地の生の情報は実際に住んでみないとわからないのでとても価値があると思うし、このような知識に留まらず実際に自分で飛び込んでみて得られた教訓や経験みたいなものの価値は今後も上がっていく気がする。
自分自身、半年間ではあるがフランスに住んでみて、そもそも持っていたフランスに関する知識の何十倍も深い知識と経験が得られている感じがする。最近はフランス人的な考え方がだんだん自分を侵食してきている実感があり、なにか別の物に変化してしまうんじゃないかという恐怖を感じている。経験に基づいた知識というのは、その人自身のアイデンティティをも変化させてしまうものである。
やはり知識として知っている事と、実際に経験してみて知っている事には物凄く大きな差があり、後者が今後の世界では重要になってくるのではないかと思っている。