善悪の彼岸

ノリと勢いでフランスに来たエンジニアが個人開発や好きな哲学、フランス生活について書くブログ。週2更新。

Die With Zeroは正しいのか?

「Die With Zero」という本をご存知だろうか。かなり有名な自己啓発書で私も2年前くらいに読んで非常に感銘を受けたのだが、最近Xで話題になり否定的な意見も多く寄せられていた。しかし、個人的には読んでよかったな~と思える本だったので、今日はこの本の主要な主張と、ネットでの議論、私の感想を書いていく。

 

 

人生の喜びを最大化するように今しかできないことに金を使え

 

私たちの問題は「できる限り人生を充実させるにはどうすればよいか」だ。見境なく豊かになることではない。 つまり、この本の目的は、富の最大化ではなく、人生の喜びを最大化するための方法を探すことだ。この2つは根本から違う。 金は目的を達成するための手段にすぎない。金は、人生を楽しむというもっとも重要な目標の達成に役立つ。一方で、金を増やすことを最優先してしまうと、その目標の達成は難しくなる。

ビル・パーキンス. DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール (p.97). ダイヤモンド社. Kindle 版. 

 

90歳になって水上スキーを始めるのは難しい。今それを我慢すれば、その分の金は貯まるだろう。だが、十分な金を得たときには、すでにそれができない年齢かもしれない。過去に戻って時間を取り戻すこともできない。 金を無駄にするのを恐れて機会を逃がすのはナンセンスだ。金を浪費することより、人生を無駄にしてしまうことのほうが、はるかに大きな問題ではないだろうか。

ビル・パーキンス. DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール (p.19). ダイヤモンド社. Kindle 版. 

 

著者いわく、金とは基本的に、何かの経験と引き換えて自分の喜びを最大化させるためにあるものである。そしてその経験は、心や身体の状態によって得られないことがある(90歳になって水上スキーができないなど)ので、若いうちからなるべく積極的にお金を経験に引き換えていこうというのが本書の主な主張である。

 

人生はテレビゲームとは違って、果てしなく高スコアを目指せばいいわけではない。にもかかわらず、そんなふうに生きている人は多い。 得た富を最大限に活かす方法を真剣に考えず、ただひたすらにもっと稼ごうとし、自分や愛する配偶者、子ども、友人、世の中に、今、何ができるかを考えることから目を背けている。いつ死が訪れるかもわからないのに。

ビル・パーキンス. DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール (p.22). ダイヤモンド社. Kindle 版. 

 

よって、人生のしかるべきタイミングで自分や他者のためにお金を使い、ゼロで死ね=DIE WITH ZERO ということらしい。

 

経験には記憶の配当が付く

 

金を払って得られるのは、その経験だけではない。その経験が残りの人生でもたらす喜び、つまり記憶の配当も含まれているのだ。

ビル・パーキンス. DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール (p.53). ダイヤモンド社. Kindle 版. 

 

また、Die With Zeroの考え方でユニークだと思った点は経験には記憶の配当が付くという考え方である。本書いわく、惜しみなくお金を使い経験を得ることで、その経験のみではなく記憶の配当が得られる。例えば若い頃に海外旅行に行った思い出は、その後定期的に思い出すことで幸せな気分になれるし、誰かに話すことで更に幸せになれる。この記憶の配当は、経験したその日から死ぬまで続くので、良い経験は若い頃にしたほうが得られる記憶の配当も大きくなるという話らしい。

 

Xでの議論

 

 

Xでは肯定的な意見が多いものの、否定的な意見も混じっていたので、リツイート数が多い否定的なポストを引っ張ってきてみた。「経験に金を使おう!ゼロで死のう!と言ってる本人が超金持ちやんけ!」「貧乏人が真似したら破産する」等の意見である。まぁ確かに完全に100% DIE WITH ZEROの考え方を実行したら破産する気はする。(現に私がそう)まぁしかし、人生のスタンスとして学ぶべきところは個人的にはあると思った。「自分は貯蓄を優先する」という人も当然いると思うし、究極的には自分の価値観をどこに置くかの話であって、「あなたはそうなのね、私はこうです。」という話であると思う。

 

感想

 

私は、あまり深く考えずに会社を辞めてフランスに来てしまったのだが、正にこのDIE WITH ZEROを読んで影響を受けてしまった一人である。

私は元々人生を、金融資産を積み重ねるゲームというよりは新しい経験を収集するゲームのようなものだと考えており、DIE WITH ZEROの理念に共感したのであった。

死ぬ時に自分がした色んな経験を振り返って、楽しかったなぁと思えればそれで大方満足して死ねると思うし、逆に一番恐れているのは、あれをやっとけばよかったと後悔しながら死ぬことである。

しかし経験と一言に言っても「自分の家を建てる」とかだって経験であって、そういうお金が必要な経験だってたくさんある。そういう経験のためのお金は欲しい。しかし、お金をためることそれ自体にはあまり重きを置いていない。

また、新しい経験を収集するために、5年前の自分が想像できないであろう自分であるということを信条に生きている。そうなると、まだ見ぬ経験を求めていろんなところを旅することになる。個人的にはそういう意味で一貫性がある人生を送っているつもりなのだが、他人から見ると何が専門なのかどういう軸で生きているのかよくわからないらしく、何したいのかよくわからない人とみられることが多い。

 

今のところは自分的にはまぁまぁ後悔の少ない人生を送れていると思う。と、いうわけで私の意見ではDie With Zeroに大賛成である。