善悪の彼岸

ノリと勢いでフランスに来たエンジニアが個人開発や好きな哲学、フランス生活について書くブログ。週2更新。

「やりたいことをやる」の本当の意味

匿名はてなダイアリーで以下の記事がバズってた。

 

anond.hatelabo.jp

 

増田(はてな匿名ダイアリーのユーザーのことをネットスラングで増田というらしい)の主張は、仕事が終わった後にジムにいったり資格の勉強ができる人達はモチベーションが高いわけではなく、「やりたくないことをやる」ということに慣れているからだ、というものである。

 

そういう習慣化が上手い人は決してモチベーションが高いわけではないという部分には同意するのだが、「やりたくないことをやることに慣れているから」という主張には若干違和感を感じており、今日はそれについて書いてみようと思う。

 

義務配信の意味がわからない加藤純一さん

完全に話が飛ぶのだが、私が好きな配信者に加藤純一さん(別名:うんこちゃん)という人がいる。私は高校生の頃からうんこちゃんのゲーム実況をかなり見ており、10年以上ファンである。配信者としての彼の実力は間違いなく日本というかアジアトップレベルで、2024年の第一四半期には、アジア圏で最も視聴されたストリーマーとなっている。

kai-you.net

 

加藤純一さんは月に300時間くらい配信しているのだが、そんな彼が雑談で「俺は義務で配信したことはない。やりたい時にやって、やりたくなくなったら辞める。」ということを言っていた。月300時間、何千人、何万人の前で配信し続けるというのは素人目に見るとしんどそうだが、本当に好きでやっていることだから苦しくないらしい。彼は常々「俺は本当に好きなことしかやらない」と豪語している。しかし、今やアジアNo.1となった彼は配信だけしていればいいわけではなく、幕張メッセでストリーマーを集めて開催する「ハイパーゲーム大会」を主催したり、ストリーマーがオーナーとなってプロサッカー選手を集めてサッカーをする「キングスリーグ」に日本代表として参加するなど、日本を代表するストリーマーとしてかなり責任を持った立ち回りをすることを強いられている感じがある。恐らく、その活動の中には、彼が得意としない仕事も多々含まれていると思われる。それでも「好きなことしかやらない」と言い切れるのはどういうことなのか。

 

やりたいことの中に部分的に「やりたくないこと」が含まれていてもそれを含めて選んだならそれは「やりたいこと」である。

加藤純一さんの話を長年聞いていると、彼の場合、やりたい目標に対して、何かしら得意ではない、やりたくない部分が含まれていても上位の「やりたい目標」を選んで引き受けているので、やりたくないことも含めて全部「やりたいこと」になるんだろうなと思う。やりたい目標の為の「やりたくないこと」だったらそれも含めて「やりたいこと」なのである。

 

そして彼はやるか、やらないかの選択は何時でも自分でできると思っていてやりたいことをやっている。

 

こういう風に考えると、大体のやりたくないことをやりたいことに変換できる気がしている。例えば、やりたくない仕事があるとする。この時点での選択肢は「やる」か「やらない」かである。もしやらなかった場合は、上司に怒られてクビになるかもしれない。それでも「やらない」選択肢を選ぶことはできる。逆にその仕事に取り掛かったなら、その仕事を選んだのはあなたである。それはあなたの「やりたいこと」となる。たいていの場合、「やる」か「やらない」か選択する権利はあなたが持っている。

 

そう思えば、やりたいこと、やりたくなかったことも含めて自分が選んだ事柄に対して、「まあこれを選んだのは俺だしな」と全て「やりたいこと」として前向きになれるんじゃないかと思う。また「やりたいこと」の中に部分的に「やりたくないこと」が入っていても「やる」ことを選んだなら、それは私が選択した「やりたいこと」である。

 

もしその結果、どんなに不遇な目にあったとしても、「まあ自分で選択した結果だしな」、「俺はやりたいことをやった」とポジティブに思える気がする。