善悪の彼岸

社会人5年目、ものづくりと哲学と研究が好き

見つめる鍋は煮えない、「思考の整理学」を読んで

「思考の整理学」面白い

最近、外山滋比古さんの「思考の整理学」という本を読んでいる。

 

友人二人くらいにこの本面白いよと紹介したらすでに読んでた。

大京大で一番読まれた本としてすげえ有名な本らしい。知らんかった。

ばくっというと、良いアイデアを思いつくための生活習慣や、そのアイデアをどういう風に記録したらそのアイデアが洗練されていくか?ということについて書いてある本である。

 

見つめる鍋は煮えない

 

その中で「見つめる鍋は煮えない」という言葉が出てきており、なんだか心に残った。

お湯を沸かすときに、沸くのを見ていると、何時まで経っても鍋はわかないが、ほっておいて他の作業をしているといつの間にか勝手に湧いているという言葉である。

外山さんいわく、思いついたアイデアについて、そればかり考えていると、なかなかアイデアは成熟しない(外山さんはこれを発酵の過程に例えている。)。頭の片隅に置いておいて、他のことをやっていると勝手にアイデアが他のアイデアと結びついてよりよいアイデアとして降りてくるということらしい。

私もアイデアはノートに書き留めてるんだが、ふと後で見返すと、そういやこんな事考えてたな・・・こっちと組み合わせると面白いかも、みたいなことがある。

しかし、この「見つめる鍋は煮えない」って話、アイデア出しの話だけに留まらないんじゃないかと思った。

 

なにかのスキルを伸ばすうえでの「見つめる鍋は煮えない」

 

 

「達人のサイエンス」という本の中で、スキルや技術を向上させるうえでの成長曲線の話がある。(よくあるやつ)

なんかこんな感じの図

なにかのスキルを得るために時間をかければかけるほど、線形に成長すると思いがちだが、実際には階段のように、全然成長しない停滞期(プラトー)と一気に成長する瞬間を繰り返していくという話である。(なので停滞期を如何に乗り越えるかが大事)

 

私はランニングが趣味で、「Nike Run Club」というアプリでランニングの距離や時間を管理している。

ダイエットのために「今月は100キロ走るぞ!!」と決めて、ネットで「毎月100キロ走った結果・・・」とか「ダイエットに効果的なのは朝ラン?夜ラン?」とか検索してるうちは点でダメである。なにかしらの要因により走れず「今日も走れなかった・・・」とかなってうまくいかない。

 

なんとか100キロ走ったとしても次の月にリバウンドが来て、全然走らなくなっちゃうのである。これは私が「見つめる鍋は煮えない」状態になっているからだと思う。

 

まぁできるだけ毎日走るようにするか~、今日は雨だからやめとくかぁ・・・くらいの意識で他のこともしているといると、いつの間にか100キロ超えてたり、自然と走る速度も上がっていたりする。

 

語学の勉強も一緒で、Duolingoでランキングを上げるため(Duolingoには他のユーザーと勉強時間を競う機能がある)一日2時間も3時間もDuolingoをやってると、その週のランキングは上位に入れても、次の週にはまったくDuolingoをやらなくなっちゃったりする。

 

鍋を見てないで他のことしよう

結局、目標や競争を過度に意識して、「見つめる鍋」状態になってしまうと、停滞期を乗り越えれず継続ができなくなってしまうのである。

 

如何に目の前の短期的な成果に注目しすぎず、他のこともやりながら、ほそぼそと毎日気長に継続し続けるか?が大事そうである。(ここらへん、アプリ設計側にも問題がありそうで、短期的な成果を可視化して、競争や目標をあおるというよりかは、長期的な視点で勉強を継続しているか?を報酬の対象にするほうがユーザーが離れなさそうだなとか思った。)

 

こんな話を妻にしていたら「お前は見ていることも忘れて鍋の火を消し忘れるだろうが」と怒られた。