善悪の彼岸

社会人5年目、ものづくりと哲学と研究が好き

「才能の民主化」について

「才能の民主化」という言葉がXのトレンドに上がってて,思わず調べてしまった.

 

 

文化庁がまとめた「AIと著作権に関する考え方について(素案)」に寄せられたパブリックコメントのひとつが注目されて炎上してるっぽい。

 

www.itmedia.co.jp

 

確かに面白い文章ではある.

 

「生成AIの登場で,今まで遺伝的才能が無いために創作活動を諦めていた私含め多数の持たざる人たちに夢と希望を見せてくれていて,もしかしたら諦めていた夢を実現できるかもと思いながら日々を過ごしています。」←ここらへんとか

 

希望をもって生きてるのは結構だが,そんな暇あるならさっさとなんか作ってみたら?と思うのは私だけだろうか。(たぶんこういう人たちはどんなに生成AIが発達しても自分の「夢と希望」を壊さないために手は動かさないんだろうがw)

 

この人は生成AIが使えれば,自分の著作物を公開して誰かに認められる!と希望を持っているんだろうけど実際は違うでしょうな.

 

既にうまい絵が描けてる人や描けるように努力してる人は,今後,生成AIを使ってさらに能力を拡張させて今までにないような凄まじい作品を作ってくるだろうし,こういう舐めた考えの人間は,誰でも出力できるようなモノしか出力できないだろう.

 

現に,如何にも生成AI!って感じの”神絵”は「マスピ顔」とか言って馬鹿にされてるしな.

dic.nicovideo.jp

 

今までの基準からすれば素晴らしい音楽やら絵を誰でも出力できるかもしれないが「認められる程の」才能は全体的に上がって,生成AIがあるうえでの競争になるだけっていう.

 

以前私は,「できないことができるような喜び」を作りたいみたいなことをブログに書いてたんだが,この人は全然サポートしたくないな.正にできないことができる喜びに打ち震えている人なのになんでだろうな.

 

chamekichi.hatenadiary.jp

 

なんか全く頑張る気がないからだろうな.

 

才能も無く、努力もせず、そのくせ与えられるものに不平を言って、努力する人間の足しか引っ張れないような奴は、目を瞑ってどっか隅っこに挟まって、口だけ開けて雨と埃だけ食って辛うじて生きてろ

 

さすが久保先生.