善悪の彼岸

社会人5年目、ものづくりと哲学と研究が好き

日本の思想

もう一度書き始めることにした。ブログは自己肯定感を上げるのにコスパが高い。あと、せっかく本を読んで考えたこともすぐに忘れてしまうので備忘録として使おうと思う。

読んだ本

日本の思想 (岩波新書)

日本の思想 (岩波新書)

 

 神の存在を基底として発展した西洋哲学に対し、なぜ日本の思想はいまいちパッとせず、今までまとめられてこなかったかを分析している本。4章の「である」ことと「する」ことは高校の国語の教科書に掲載されているらしい。俺読んだ記憶ないんだけど。寝てたのかな。。

特に面白かった部分

私たちの伝統的宗教がいずれも、新たな時代に流入したイデオロギーに思想的に対決し、その対決を通じて伝統を自覚的に再生させるような役割を果しえず、そのために新思想は次々と無秩序に埋積され、近代日本人の精神的雑居性がいよいよ甚だしくなった。日本の近代天皇制はまさに権力の核心を同時に精神的「機軸」としてこの事態に対処しようとしたが、国體が雑居性の「伝統」事態を自らの実態としたために、それは私たちの思想を実質的に整序する原理としてではなく、むしろ否定的な同質化(異端の排除)作用の面でだけ協力に働き、人格的主体ー自由な認識主体の意味でも、倫理的な責任主体の意味でも、また秩序形成の主体の意味でもーの確立にとって決定的な桎梏(あしかせ)となる運命をはじめから内包していた。(中略)

問題はむしろ異質的な思想が本当に「交」わらずにただ空間的に同時存在している点にある。

 

丸山さんは、日本が、政治・経済・文化等、あらゆる面で日本が成り上がり国家であり、そこにヨーロッパの思想が輸入されてきたために、日本人の精神的な雑居性が高まってしまったと分析している。そこでもし日本がヨーロッパにおけるキリスト教のような精神的機軸を持っていれば、異文化に対しての自分達の立ち位置を明らかにし、異なる思想を本質的に理解することができたが日本にはそれがなかった。(天皇を疑似的な精神的機軸に祀り上げようとしたが失敗し、バランスを失った日本は戦争に突入していった)結果、日本では「言ってることはわかるが実感が伴わない」東洋思想と西洋思想が入り乱れ、それらを混ぜ合わせて自分たちの思想として昇華することもできず、ただ雑居するのみとなってしまった。

 

なんか自分の趣味とか考え方を鑑みてもこれと同じようなことが言える気がして、日々音楽でもアニメでも思想でもとりあえず面白そうなものを取り込んでいるけど、摂取した直後は「確かにこういう考えもあるな~」と思うものの、あんまり脳に定着していないというかすぐ忘れちゃうんだよな。

結果、一番最近に摂取した思想に影響を受けてしまうという薄っぺらさ。

Twitterで「海外はこれなのに日本は~」とか書いてるのを見て、「確かにそうだなぁ~日本オワコン~」と思うんだけど、日本人に合っているやりかたと外国人にあっているやりかたは違うはずで、そのまま日本に導入してもうまくいくわけないんだよな。もっと日本人について考えなきゃいけないなと思った。なんか雑になった。後半の感想はまた書く。