善悪の彼岸

社会人5年目、ものづくりと哲学と研究が好き

興味があること

果たして,自分が真に興味があるものは何か?を定期的に考えることは大事な気がする.


最近は,生成AIなりOpenCVなりで視界をハックするみたいなことに興味を持ってテキトーに色々作ってみたりしているのだが,そこらへんは全て人間の認知をバグらせたら果たしてどうなるのか?みたいなところに端を発している.

 

カントは人間は”物自体”を観測できないといった.”時間と空間”は観測する対象に備わったものではなく,観測する人間がアプリオリ(先天的)に備えた能力であり,すべての感覚はまず”時間と空間”というフォーマットで知覚されるということらしい.

それは正しいと私も思うんだけど,それってあくまで私たちが持っている感覚器官の能力(目や耳の能力)に制約を受けた結果なんじゃねえか?と私は思っている.

すなわち,目や耳を何か別のものに置き換えたり,目や耳から入ってくる刺激を書き換えたら.”時間と空間”という形式をぶっ壊して世界を知覚できるんじゃねえか?みたいな.(実際,仏教などの東洋宗教では,禅やマインドフルネスの形で時空間を超えた知覚を得ようとしてるし,LSDなどの薬物や統合失調症なんかも時間と空間の認知がバグった結果,幻覚や幻聴が聞こえているというような気もする.)


そして,もしそういう形で感覚器官を置き換えたり拡張していったら,果たして人間はどういうことを考えるようになるのか?どんなふうに世界を知覚するのか?ということに一番興味がある.

だから,ロボティクスやAR,VRを使って身体を拡張すること自体に興味があるというより,それらのテクノロジーを用いて身体を拡張した結果,果たして人間は(私は)何を感じるのか?ということに一番興味がある.