TokyoMakerFaire2023に向けて作品を作ってる.
ここ数年,なんだかよくわからんものを色々作ってきたが,最近自分のHPにそれらの作品を並べてみたら自分が本当に何をやりたいのか?ということについてだんだん見えてきた気がする.
最近はずっと身体拡張がやりたい!と言ってきたのだが,なんかしっくりこず実際に自分が作ってるものとアンマッチしている気がしていた.(身体拡張というと,パワードスーツとか攻殻機動隊みたいに電脳化によって脳とインターネットがダイレクトにつながる~みたいなのだと思うし,私も好きだが本当にやりたいことではない気がしていた)
そんな中で最近会社の先輩と話してて,私は「できないことができるようになることの喜びにあふれた世界」にしたいと思っているのではないかと気づいた.できないことができるようになることをテクノロジーで助けるのが自分のやりたいことかもしれんと思った.
できないことができるようになるというのは,2つの種類があると思う.ひとつは「苦手なことが苦手じゃなくなる」でもうひとつは「得意になることがさらに得意になる」ことだ.
苦手なことが苦手じゃなくなるというのは例えば,「ギターの練習が苦手だけど苦手じゃなくなる」「人とのコミュニケーションが苦手だけど苦手じゃなくなる」みたいなことだ.前者で言えば「Gitみたいに練習に対して草が生えるようになったらギターの練習を続けられるようになるのでは!?」と思って作ったのがGitterだし,後者で言えば「周りの声が美少女の声になれば圧が強い人とも楽しく話せるのでは?」と思って作ったのが美少女ヘッドフォンである.(参考:https://gakutosasabe.github.io/pages/)
「得意なことがさらに得意になる」というのはあんまりこれをテーマに作ったことないけど将棋AIと似てるかなと思う.将棋AIと一緒に練習することによって,新たな打ち筋がひらめき,将棋の世界が広まるみたいな感じ.そういう人間の創造性をテクノロジーによって開花させるみたいなのを作ってみたいし,生成AIを使えばできそう(もうあるかもしれんが)
「できないことができるようになることの喜びにあふれた世界」を実現するうえでは,スキルだけを拡張するのではなく心も体も同時に拡張していくことが大事だと思う.例えば,StablleDiffusionみたいに文章を絵にすることができるようになりました~これであなたも神絵師です!みたいなのはちょっと違う気がする.私が初めてStableDiffusionを使ったときにすげ~と思った一方ですぐに飽きてしまった.これはなんというか,私が絵を描けるようになった,のではなくAIに頼んで絵をかいてもらったと自分が感じたからだと思う.それだったらi2i使って,自分でかいた絵が,少しずつ補完される,みたいなシステムを作りたいと思う.その方が絵を描く喜びがあるし,自分がだんだんと成長しているという実感があると思うからだ.
自分自身の過去を思い出してみると,高校に入ったときに数学がいきなり難しくなり,先生も生徒の理解度を見ずにどんどん進むもんだから,高校に入った瞬間に数学が嫌いになってしまったという経験がある.学問でもスポーツでも何でもいいんだけど,それに対して素朴な興味はあるのに,なんらかの外的要因や,自分の特性に合っていない教え方によって「自分は才能がないんだ,苦手なんだ」と思ってしまうことって理不尽じゃね?と思う.そういう理不尽をなくすことには興味がある気がする.