善悪の彼岸

ノリと勢いでフランスに来たエンジニアが個人開発や好きな哲学、フランス生活について書くブログ。

「メンタルは技術」という風潮は人間のロボット化を招きそう。

大谷選手がインタビューでかっこいいこと言ってた。「メンタルは言い訳にしたくない。そこも含めて技術だと思っているので」とのことである。かっこいい。

column.sp.baseball.findfriends.jp

 

それに対してXではこんなポストがバズってた。

 

最近、メンタルを整えることは技術で可能だし、周りに迷惑をかけない為にみんな当たり前にやるよね?みたいな風潮が強くなってきたのを感じる。(アンガーマネージメントとかも言われてるけど)

 

CHI2024の論文を読んでても、メンタルの波を如何にテクノロジーによって是正できるか?補助していくか?というところに注目が集まっていてHCIの研究者が色んな方法を提案してる。以下のストレスが検知された場所をGoogleMap上に可視化して、ストレス源を同定する研究とか面白かった。

arxiv.org

 

薬でADHD的な特性を排除するみたいなのも普通に行われている。

 

 

自由意志が存在するかはともかく、メンタルヘルスケアのテクノロジーによって、脳内物質の濃度の調整や、アンガーマネージメントが行われて、メンタルの健康が保障されるようになれば、本格的に人間の同質化(ロボット化)が進みそうである。

 

テクノロジーによって、社会的に健康とされる状態に半強制的に変えられる。そこには病気になる自由もメンヘラになる自由もない。

 

伊藤計劃のハーモニーの世界観に近いと思う。

 

それはもはや憲法で保証されてるはずの思考の自由を間接的に奪っていることになりそうである。

AIが人間に近づいているのでなく、人間がAIに近づいていく。以下の養老先生の動画が好き。

 

www.youtube.com

 

たしかに皆がみんな技術や薬によって前向きになれば誰もが幸せな世界かもしれないが、なんだか不気味である。強い喜びも悲しみも怒りもテクノロジーに抑制され、なんとなく感じの良くて前向きな人間だけになる。

 

恐ろしい。

 

個人的には、「みんながみんな健康になりたいはず」、「明るくポジティブになりたいはず」という前提で「支援」という名の「治療」を押し付けるのはただの暴力であると思っている。

 

そのような治療はそれこそ本人の自由意志により、受診するか決めるべきだと思う。

私はADHDの薬は自分が自分じゃなくなるのが怖いので飲みたくないです(といいつつどんな感じに変わるのかは気になるのでちょっとだけ飲んでみたい)。