善悪の彼岸

社会人5年目、ものづくりと哲学と研究が好き

吐きそう(^o^)

大学院受験のためのモチベーションレター書いてるけど緊張して吐きそう。先輩からもらったモチベーションレター集を見ているのだが、アメリカの名門校に出願する人のモチベーションレターが半端ない完成度だからである。既に100万人に使われてる教育アプリ作りましたとか、マイクロソフトインターンしてどうのこうのとか。もうそれ博士取る必要ないやん!

 

別に面接が控えているわけではなく、応募用の書類を作っている段階なのだがもう鬱である。

 

思えば社会人になるまでは、高校受験、大学受験、大学院受験、就活と、「はーい、君は今まで何してきたのかな?なんでこの会社(学校)に入りたいのかな?^-^使える人間かな?^-^」と圧をかけられる機会が3,4年ごとにあったが、社会人になってからそういう機会は殆どなくなっていた。

 

一応、会社の昇格試験でそういう機会はあったが、あくまで内部の審査なので審査する側の人の顔も知ってるし、割と形式的なものだったのでそこまで緊張はしなかった。

 

しかし今回は、超絶外部、しかも英語ベースで、超絶優秀な海外大学の教授様に審査されるやつである。私史上前例がなさすぎる。未知すぎる。無理すぎる。

 

大体、こう直前になって現実味を帯びてきて、面接ともなろうものなら2時間前から吐き気がこみ上げ(実際に吐く)、面接に答えながら、「ああ、なんで前もって準備してこなかったんやろか・・・」と心のなかで後悔するのが毎度毎度のパターンである。実際に面接が始まって初めて事の重大さに気づくのである。

 

しかし綺麗事を言えば、なんというかこうやって人間性や今までの人生を数年に一度精査される機会を持つことは個人的に大事だとは思っている。そういう機会をねじこむことで、自分の人生や得たスキルの棚卸しになるし、その過程で自分がやりたいことが何なのかがだんだんわかってくるからである。

 

また、後で振り返ったときに、「あ~受験しなきゃよかったなぁ。挑戦しなきゃよかったなぁ」と思うことは今のところ自分の人生においてはない。「もっとちゃんと準備してもっと上を狙えばよかった」と後悔するのは毎度のことではあるが!

 

この前妹に「ほんとにあんたは受験が好きだね」と言われたが私は受験が嫌いである。けどなんか好きなことやろうとして、かつ一応社会的に認められたいと考えると受験することになっているのである。