いつも年始に目標を立てるのだが、大体5月あたりで一度モチベーションが下がり、9月くらいにちょっと取り戻して結局未達ということを繰り返している。
あ~今年もダメだったなぁと思いながら、また年始に目標を立て直すのである。
何故いつも達成できないかと考えてみると、要因は複数あるのだが、かなり大きな問題として、立てた目標自体に興味がなくなるというのがある。目標を立てたときは、「やるぞ!」と一番モチベーションが高くなっているのだが、そこから一週間、一カ月たつと、「これ本当にやる意味あるのか?」「目標が高すぎてぶっちゃけ俺じゃ無理じゃね?」「私に向いてないから別の目標の方がいいんじゃないのか?」等の邪念が頭をもたげ、目標に向かって行動しなくなってしまうのだ。
今回読んだ「自意識(アイデンティティ)と創り出す思考」という本はそういう悩みを解決するうえでかなり衝撃的だったので紹介したい。
なぜ読んだか?
今年も一応年間目標を立てたのだが、いろんな人と会話しているうちに、「なんか目標変えた方がよくない?」「私がやるべきことは別にあるんじゃない?」と新年2週間にして例年のごとくぐらつき始め、悩んでいた。そんなときに株式会社yutoriという若者向けのアパレル会社を経営して最年少上場を果たした片石貴展さんという方が、Noteでこの本を紹介しているのを見つけ、なんか面白そうだなぁと思い読んでみた。
余談ですが、片山貴展さん自身が最近の社会動向について喋ってる動画がめちゃくちゃ面白かったのでおススメです。
さて、この本に書いていることはシンプルで、「自分がどんな人間であるか?どんなことに向いているか?何をするべきか?」を考えることより「自分が作り出したい成果」にだけ集中しようということである。以下詳しく見ていく。
「自分が何者か?」なんてことは分かりっこない。
自分が自分自身をどう見ているか、他人にどう見られているか。たいていの人がそれを気にしている。人によって課題の深刻さはまちまちであろうが、自意識が人生を形づくる要素だと考えている人は、自分が人生で何を創り出し、達成し、学び、経験し、理解し、どこに到達するのかに自分で制約を設けていることになる。
ロバート・フリッツ; ウェイン・S・アンダーセン. 自意識(アイデンティティ)と創り出す思考 (p.25). Kindle 版.
ひと言で言うと、こういうことだ。「自分が何者かなどと問うのをやめること」。深遠なる謎から自分を解放しよう。誰もその答えは知らないし、知りようがないのだから。
ロバート・フリッツ; ウェイン・S・アンダーセン. 自意識(アイデンティティ)と創り出す思考 (p.59). Kindle 版.
自分が何者かということはとても深遠な問題である。 私は哲学書を読むので、「自分とは何か」、「人間はどう生きるべきか」ということを読んだり考えたりするが、まあ答えは出ない。 一時期答えが出た思ってもまた別の答えがでてきて困惑する。(だからといってそういう問題を考えることが無駄だとは思わないが。)
作者によれば、人間は望んで生まれてくるわけではなく、 そこに「在る」という状態からスタートするので、 自分がどういう人間であるか?ということを判明させることは構造的に不可能である。 ここらへんはサルトルの「実存主義とは何か」で書かれていたように 「私たちは望んで生まれたのではなく、気づいたときには既に存在しているので、だからこそ何をしてもいい(自由である)」という話にとてもよく似ていると思った。
「理想」とは「嫌な思い込み」の否定である
自分のことを頭が悪いと思っていて、でも実際には頭がいい人は、「本当は頭がいいことを証明してやろう」と考えることが多い。それでどうするかといえば、やはりアファメーションか体験カタログだ。アインシュタインは「私は頭がいい。私は頭がいい」と毎朝唱えて一日を始めたりしなかった。アファメーションは逆効果であり、嫌な思い込みを強化するだけだ。繰り返すが、自分は頭が悪いと思い込んでいる人でもなければ、わざわざ自分は頭がいいなどと言う必要はない。
ロバート・フリッツ; ウェイン・S・アンダーセン. 自意識(アイデンティティ)と創り出す思考 (p.45). Kindle 版.
私たちは、私はこうあるべきだ、こういうのが向いているんじゃないか、と考え、理想を打ち立てる。しかし作者によればこの理想は「嫌な思い込み」の裏返しである。ここら辺は以前読んだ、「こじれる人間関係」にも書かれていたのだが、 理想を掲げるということは、すなわち自分の嫌な思い込み、 例えば「自分は頭が悪い」とかの裏返しとして、TOEIC800点を取ろう!というような理想を掲げるというような構造がある。しかも、これは理想を追い求めれば追い求めるほど、その嫌な思い込みを強化するという側面がある。
成果に集中しろ
彼らの成功は、自意識とは関係なく、もっと強力で持続的な力によってもたらされたものだ。それは自分が創り出したい成果を実現しようとする力である。偉人たちは、自分自身にではなく、創り出しているものに意識を向けていたのだ。
ロバート・フリッツ; ウェイン・S・アンダーセン. 自意識(アイデンティティ)と創り出す思考 (pp.16-17). Kindle 版.
大事なのは、自分自身が何者かということを考えるのではなく、 また、自分の嫌な思い込みの反動として理想を掲げることでもなく、 本当にやりたいこと、そのもの自体をやりたいことを見つけて、その目標に対する成果に着目するということである。 すなわち、自分に着目するのではなく、「自分が作り出したいもの」に着目することになる。
何かを得るためにやるのではなく、やりたいからやる
場合によっては、創り出したものが大きな投資対効果を生むこともある。ロックスターは巨額の収入を得て賞賛を浴び、どこへ行っても特別扱いされる。素晴らしい投資対効果だ。だからといって、彼らは投資対効果のためにロックスターになるわけではない。音楽のためになるのだ。
ロバート・フリッツ; ウェイン・S・アンダーセン. 自意識(アイデンティティ)と創り出す思考 (p.165). Kindle 版.
また面白かったのが、何かをすることによる副次的な効果を主たる目的とするのではなく、あくまで目的そのもののためにやることが大事だという主張である。例えば、私もよくあるのだが、 「英語を勉強する」という目的を掲げ、その理由が「年収を上げれるから」となることがある。 しかし、こうしてしまうと、本当にやりたいことは年収を上げることなので、英語を勉強するというモチベーションが阻害されやすい。また、目的の裏に隠された本当に目標である副助的な効果(この場合は年収を上げること)は、自分の嫌な思い込みへの反動としての理想であることもある。なので、一番効果的なのは、そもそも英語をしゃべるために英語を勉強するということである。 この場合は、「そもそもやりたいからやる」という構造なので、モチベーションが阻害されにくい。本当にやりたいことを決めるうえでは、その掲げた目的が、何か別の目的のツールになっていないか?を気をつける必要がある。
以前、シン・エヴァンゲリオンを作る庵野秀明監督に密着したドキュメンタリーを見たとき、途中まで完成した映像を関係者に見せた所「面白くない」と言われたので、大部分を作り直すというシーンがあった。とにかく庵野監督は「面白いものを作る」ということに執着しているように見えた。何かのために面白いものを作るのではなく「面白いものを作るために面白いものを作る」のである。こういう形が一番理想的なのかもしれない。
作ったものと作った人は全く別物である。
創作者として生計を立てている人は、創作者である自分自身と創作物とを明確に区別できていることが多い。この区別は決定的に重要だ。なぜなら、区別できて初めて、作品と創作プロセスを客観視できるからだ。そこから学び、次のステップを調整していくことで、経験と勢いが生まれる。 アマチュアの場合は、しばしば違うことになっている。作品と自分自身とを混同してしまうのだ。自意識の問題を抱えた創作者だと、何を創っても自分自身を表現したものだと思ってしまう。この状態では客観視は難しい。学び、調整し、改善して創作物を発展させていくことが難しくなる。
ロバート・フリッツ; ウェイン・S・アンダーセン. 自意識(アイデンティティ)と創り出す思考 (pp.159-160). Kindle 版.
もうひとつ面白かったのが、自分と自分が作り出したものは同一ではないという視点だ。 例えば私なんかもそうなのだが、宮崎駿と宮崎駿が作り出した映画を同一視して、この素晴らしい映画を作った人は素晴らしい人物であろうという思い込みの元、ドキュメンタリーを見るみたいなことをよくするが、これは著者によれば勘違いである。 自分がやりたいこと(作るもの)=自分とすると、それが自分を追い込むことになる。 すなわち、ある理想を掲げた時にその理想を達成できない自分は能無しだということになるのである。なので、あくまで作ったものと作った人物を分けて考える必要がある。
これ以外にも、掲げた理想に対して具体的にどうやってこの「思い込み」が悪く作用するかなど面白かったポイントがいくつもあるのでぜひ読んでみてほしい。根拠として紹介された心理実験に対しての引用元が明記されていなかったり、ちょっとスピリチュアルっぽいところもあるなど気になるポイントは幾つかあったが、全体的にとても示唆の多い内容であった。
感想
ここまで読んで何だ当たり前のことしか書いてねえじゃんと思われた方もいると思うが、 最近変に難しい哲学書みたいなものばっかりを読んでいた自分にはとても刺さる内容だった。 あまり自己というものに囚われすぎず、私も成果だけに着目して、成果とのギャップに対処するという方法で今年はやっていきたいと思う。