善悪の彼岸

ノリと勢いでフランスに来たエンジニアが個人開発や好きな哲学、フランス生活について書くブログ。

小坂国継著「西田幾多郎の思想」要約 ④近代日本の哲学と「善の研究」

前回の「否定の論理」に続いて、今回は、そもそも日本において哲学がどのように始まったのか、その中で西田幾多郎の「善の研究」はどのような影響を与えたか、というところをまとめてみた。

 

【3つのポイント】

・日本における西洋哲学の受容

・明治時代の啓蒙哲学

西田幾多郎の「善の研究

 

以下要約

 

日本における西洋哲学の受容

 日本において西洋の学問や技術の受容を国家規模で行うようになったのは開国(安政元年、1854年)以後のことである。幕府は開国に伴い、主として軍事上・外交上の必要から洋学を専門に扱う研究機関の設置を急ぎ1856年に「蕃書調所」を設立した。

 

ja.wikipedia.org

日本における哲学の受容もこの蕃書調所から始まった。調所の助教授であった西周津田真道政治学・法学・経済学等の実学だけでなく万物の究理の学としての哲学にも関心を持ち、ほとんど独学で研究を始めた。1861年に書かれた津田真道の「性理論」は日本における最初の哲学的文献と目されるが、ここではphilsophyは希哲学(ヒロソヒー)と訳され、栄学でいう性理の学、または理学に相当するものと考えられている。当時一般に、西洋には自然現象を扱う学問はあっても形而上の理(宇宙の根本原理、道理)を扱う学問はないと考えられていたが、西は西洋にも理(性理または道理)に関する学(ヒロソヒー)が存在することを発見し、津田とともにそれに関心を示したのである。西はある友人に宛てた書簡の中でヒロソヒーに関して、従来の漢説に比べて「実に驚くべき公平正大の論」であって、宋学(中国宋代の学者の唱えた学問の総称)にも勝ると評価している。

 

明治時代の啓蒙哲学

 印刷された書物の中で「哲学」という言葉が用いられたのは西周の「百一新論」(1874年)が最初であるが、もともとこの本は西の京都時代(1867年)の私塾における講義録であるので、西はこの時期から「哲学」という言葉を用いていたことになる。いずれにしても「哲学」という言葉は日本に旧来にあった言葉ではなく、翻訳語であること、それは元々のphilosophyという言葉の原義「智を愛する学」に即して作られた言葉であるということを知っておく必要がある。

 さて、西と津田は幕府給費生としてオランダに留学し、ライデン大学のフィッセリングについて主として政治学・法学・経済学を学んで帰国した。このフィッセリングはオランダにおいて、自由主義的な古典経済学派の立場に立つ代表的な人物であり、哲学的にはミルやコントの実証主義形而上学を排除する立場)の影響下に合ったので、西と津田は彼からおのずと自由主義的・実証主義的精神を吹き込まれたと思われる。一般に、明治初期の日本の啓蒙思想はこのような実証主義的・自由主義的・功利主義的傾向が強いものであった。それが明治二十年ごろから観念論的なドイツ哲学の影響を受けるようになり、それが学会の中心的傾向となった。

 明治時代は全体として啓蒙時代といっていいであろう。というのもこの時代に活躍した思想家は大抵啓蒙思想家であった。彼らはもっぱら西洋の思想の翻訳・紹介・注釈・解説の仕事に従事した。彼らのモットーは「広く浅く」であって「深く狭く」ではなかった。しかし、それは時代の要請でもあったのである。

 

「哲学」という言葉を作った西周(にしあまね)。「近代日本哲学の父」と言われている。

 

西田幾多郎の「善の研究

 幕末に西洋哲学を受容して以後、西洋哲学の翻訳・紹介・注釈・解説の段階を脱して、日本人が真の意味で自前の哲学をもったのは西田幾多郎の「善の研究」が最初であった。この本は、いわば日本人の日本人による日本人のための最初の哲学書であり、この意味で、それは日本における哲学の「独立宣言書」と言っても過言ではない。

 西田は「善の研究」のなかで彼が長年の禅体験によって得た境地を当時西洋の流行思想のひとつであった「純粋経験」に託して、哲学的に表現しようとした。それは以前の啓蒙思想家の著作によく見られたような、伝統的なものと西洋的なものとの安直な折衷ではなく、真の意味での対決と総合の試みであった。「善の研究」は最初に全体の構想があって、その構想に沿って順に泣き降ろされたものではなく、種々の論文を合本してなったものである。また、西田は「善の研究」という題名に関して「この本を「善の研究」と名付けた訳は、哲学的研究がその前半を占め居るにも関わらず、人生の問題が中心であり、終結であると考えた故である」と語っている。これは西田にとって、真理の探求と良き生の探求が別のものではなかったことを示しているのではないだろうか。

 

 

感想


 意外と日本の哲学の始まりって最近なんだなと思った。初めて西洋から哲学が伝わってきてからまだ150年くらいか。この前読んだゴルギアスが大体2400年前の本(紀元前400年)なので、それに比べるとかなり歴史が浅い。フランスに来て、本当にこの国は哲学や芸術のような文化を大事にする国だなぁと日々感じているが、そもそも哲学の歴史の長さが違うということなのかなと思った。最近は、「西洋に比べて日本のほうが優れている、むしろ西洋社会の方がレベルが低い」というような言論をよく見る。しかしここで今一度、かつての明治時代の啓蒙思想家達のように、西洋から謙虚に学ぶ姿勢が今の日本にも必要なんじゃないだろうか。まだまだ西洋の思想から日本が独り立ちするには時間が必要そうである。
 また、西洋に対しての日本の哲学の歴史の中で、西田幾多郎が初めて自らの哲学体系を作り出した初めての日本人であるということは知れてよかった。まさかそんなに重要な役割を持っていたとは知らなかった。では西田幾多郎以降で自らの哲学体系を構築した日本人はいるのか、ということは気になった。