善悪の彼岸

ノリと勢いでフランスに来たエンジニアが個人開発や好きな哲学、フランス生活について書くブログ。週2更新。

AIが人間の仕事を奪って誰が喜ぶのか?

不完全なシステムを人間が支える国フランス

フランスではよく駅の改札のマシンが故障していて、そのまま切符を通さず素通りしなければならないという場面に遭遇することがよくある。パリでは、正月からメトロの料金体系が切り替わったのだが、システム移行が間に合わなかったらしく、1月1日はほとんどの改札が開いたまま停止していて、みんなお金を払わずに素通りしていた(相変わらずクソ適当な国であるw)。

 

バスに乗っても乗車券をタッチする機械が壊れていたり、システム移行期間中なのか謎に使えないことがあるので、そういう場合は運転手さんが「Allezy!(行きな!)」と言って通してくれる。 そういうシステムの欠陥に人間側が合わせながらなんとかしている。 しかし、そのように人間側が合わせることによって、完璧なシステムを保守するための人が必要なのも事実である。 ある意味で雇用を生み出しているとも言えるかもしれない。

 

フランスでは、正常に動いているシステムでも、かなりの部分を人間が補完してあげることを前提に成り立っているシステムが多い。オンラインヒッチハイクシステムであるBlaBlaCarとか。

 

chamekichi.hatenadiary.jp

 

全部AIに任せて誰が嬉しいのか?

 

けどこれって一周回っていいんじゃね?と最近思うのである。ある意味で、機械と人間が助け合う理想の形になってるのでは?という。全部自動化するんじゃなく、ちょっと人間が助けてあげる必要があるくらいが実はちょうどいいんじゃね?と思うのだ。例えば、最近日本で配膳ロボットが流行ってるが、あれが配膳口近くで立ち往生しているのをよく見る。それを「また詰まってるー」と笑いながら直す店員さんは充実感を得ているのでは?という話だ。

 

完全にAIが人間の仕事を奪って、誰が嬉しいの?という話でもある。 今、AIはイラストもめちゃくちゃ描けるようになったし、ホワイトカラーの仕事を奪いつつある。 しかし、完全に人間から仕事を奪うことが良いことなのか、ということは考えるべきなんじゃないの?と思う。 結局、全部自動化して誰が得するかと言えば、経営者だけである。

そうなったらべき分布のような形での富の分断が加速することは明白であるように思える。

最近よく見る富と人口の関係がべき乗である的な図。完全な自動化を成功させたごく一部の経営者に富が集中し、残りを大部分の人たちが奪い合う

ここにはそもそも人間が幸せになるためにテクノロジーが存在するという考え方が抜けていると思う。AIがすべてを決めてくれるのが良い、人間はもっとクリエイティブなことに集中できる!とか言う考え方もあるが、そんなみんなクリエイティブなことがしたいか?普通に仕事をしてたい人もいるのでは?AIが全部やってくれたら本当に人間は幸せになれるんだろうか?私はあくまで人間が中心にあり、「人間が良い人生を送るためにテクノロジーがあるべきである」という考え方である。とか言っていたらこの前読んだ「ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか」にも似たようなことが書かれていた。

 

コンピュータがこの先より多くの仕事をするようになると誰もが思っている。それは人々の想像をはるかに超えるものになるかもしれない。三〇年後、まだ人間のすることが残っているだろうか? 「ソフトウェアが世界を食い尽くす」(*1)──ベンチャーキャピタリストのマーク・アンドリーセン(*2)はそうはっきりと言い切っている。同じくベンチャーキャピタリストのアンディ・ケスラー(*3)は、生産性を上げるには「人間を排除する」のがいちばんだと嬉しそうに語っている。フォーブス誌はどちらかというと不安な調子で、読者にこう訊ねた。「機械はあなたに取って代わるだろうか?」  フューチャリストは「イエス」という答えを望んでいるようにも見える。テクノロジー嫌いは機械に置き換えられることを恐れるあまり、いっそ新しいテクノロジーの開発をすべて止めた方がいいと思っている。どちらの側も、より能力の高いコンピュータが人間の労働力に置き換わるという前提を疑っていない。だけどその前提は間違っている──コンピュータは人間を補完するものであって、人間に替わるものじゃない。これから数十年の間に最も価値ある企業を創るのは、人間をお払い箱にするのではなく、人間に力を与えようとする起業家だろう。

ピーター・ティール; ブレイク・マスターズ. ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか (pp.212-213). NHK出版. Kindle 版. 

 

医師は、医療技術だけでなく医学に疎い患者ともきちんとコミュニケーションがとれなければならない。優秀な教師とは教科の専門家であるだけでは不充分だ──生徒各自の興味や学習態度によって、指導方法を変えることができなければならない。コンピュータはこうした作業の一部を担うことはできるかもしれないけれど、それらをうまく組み合わせることはできない。法律、医療、教育分野での先端テクノロジーは専門家に取って代わるものじゃない。それは人間の生産性を上げるものだ。

ピーター・ティール; ブレイク・マスターズ. ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか (p.221). NHK出版. Kindle 版. 

 

本当にこのとおりだなと思う。何もかも自動化するのを善とするのではなく、テクノロジーを使って「人間に力を与えて、幸せにする」ことを善とするべきではないかと思う。