善悪の彼岸

ノリと勢いでフランスに来たエンジニアが個人開発や好きな哲学、フランス生活について書くブログ。週2更新。

デザイン思考の限界とアート思考

最近、“デザイン思考”という言葉をよく耳にするようになった。エンジニアでさえも、ユーザー視点のデザインが求められている時代である。

 

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デザイン思考とは、デザイナーが使うようなツールや思考の枠組み、すなわちユーザーへの徹底的な調査やインタビュー、プロトタイプを作ってフィードバックを得る手法などをエンジニアや経営者が使うことで、ユーザが真に欲しているものを理解しようとする試みだと思っている。

私もこういう類の話が好きで、何冊か本を読んだことがある。(特に以下の「エンジニアのためのデザイン思考入門」「イノベーションスキルセット」はオススメの本である。特にイノベーションスキルセット。)

 

 

私個人としてもデザインのスキルとか、思考法に興味があり、人間中心設計とかUXを大学院で学ぼうとしている。また、一応前職では実際に製品のUIデザインの責任者として画面デザインを書いたり仕様を書いたりしていた。

なので、そもそもデザイン的な話にとても興味がある一方で、デザイン思考に限界も感じている。そして、今後大事はアート思考がより重要になるのではないかと思っている。今日はそういう話を書きたいと思う。

 

デザイン思考ではその物自体の本質を変えることはできない

確かにデザインの力を使って、製品を使いやすくすることによって製品の付加価値を高めることはできると思う。

しかし当たり前だが、テレビにはテレビの役割、すなわち面白い番組を映すという役割があり、電話には電話の役割、遠くの人と喋るという役割がある。 あくまでデザインはそこに付加的な価値をつけるものであるが、 その本来の作られた目的を大幅に超えて、何か全く新しいものにするというような性質のものではない気がする。すなわち何が言いたいかというと、 デザインの力を過信しすぎて、そのものの本物の価値が何であるのか、 どこまでがその物の領分であるのかということを見失わないようにするべきであるということである。

 

では、ガラケーからiPhoneの変化には何があったのか?

よく日本が他国のイノベーションに負けた事例として、ガラケーAppleiphoneに負けた話が出てくる。

先程の今の話でいうと、ガラケーからiPhoneに変わって、何がそんなに変わったのかという話になる気がする。 メールや電話、音楽の再生など、基本的な機能自体はガラケーiPhoneで変わらなかったし、絵文字機能などはむしろ日本の方がよほど先行していたように思う。

にもかかわらず、iPhoneはあれだけ爆発的なヒットをしてガラケーをほとんど駆逐した。 これは一体何なのか。やはりデザインの力なのか、スティーブ・ジョブズ氏のプレゼンテーションの力なのか。 もしくは、ボタンを押すということをタッチにするということに本質的な意味があるのだろうか。 確かにボタンを使って間接的に世界を操作するということと、タッチしてダイレクトにその世界に触れるということには大きな差があるようにも感じる。 ではそこが一番の違いだったのだろうか。

個人的にiPhoneの成功は、ユーザの希望を叶えるようにデザインしたというよりも、先に「こういう世界観を作りたい」という思いがあった上でデバイスを開発したので成功したのではないかと思っている。デザイン思考よりアート思考なのかもしれない。

 

アート思考とは?

デザイン思考が、ユーザに寄り添ったプロダクトを開発するためにデザイナーの思考を使おうという試みであるのに対して、アート思考では開発者自身の好みや、「世界はこうあるべきだ」という思い込みからプロダクトを開発することになる。(特に以下の本がオススメ)

 

 

iPhoneの勝因はアート思考?

そもそもAppleはデザインの専門職の人向けにPCを開発したところから始まっている。「この人が持つのにふさわしい、この人が使うのにふさわしい道具」という概念を電子機器に、初めて持ち込んだのがアップルでありその理念やかっこよさに共感した人が多くいたからこそiPhoneもあれだけの爆発的な成功をしたのではないだろうか。

やはりデザイン思考の限界は、人間を中心に置きすぎることによって、既存の答えからはみ出すこと回答が出せないというところにある気がする。 その一方で、iPhoneの例のように、自分の世界を作り出したいという欲求=アート思考から生まれたものは、 全体の人間の最大公約数という枠を飛び出て、ある特定の人物や対象に向かうため、結果的に多様なデザインやプロダクトが生まれる可能性があるのではないかという気がする。

ユーザーがこう言っているから作るというある意味受け身のデザイン思考ももちろん必要だが、その一方で、 「私はこういう世界にしたい、だからこれを作る」というようにこちらから攻める方向に向かうアート思考は今後もっと大切であるという気がする。